眉に唾を付ける
長年、住宅業界で飯を食っていた人間にとっては、民家再生とか町並み保存という言葉に何かしら、くすぐられる感じがしないでもない。
民家再生・街並み保存に対しては、悪い事でもないように思うし反対でもないが、 そうかといって積極的に賛成する気持ちにもならない。
何となくやましい感じが何処から漂って来る気がするのはどうしてだろうという気持ちを整理してみたい。
昭和25年出版された「日本住宅の封建制」という本を少し読んでみると、田舎の住宅は封建的で遅れているから新時代に対応した住宅に改善しなければならない。 と書いてある気がしたが、この本を読んだ、当時の若い住宅関係者は、 敗戦後の新潮流でもあり、そうだそうだと納得し、世の中もそのようにはやしたてたであろうと思います。
その結果どうなったかというと、田舎の古い因習に満ちた遅れた生活から脱却するためには、都会に出て新しい息ぶきを身に付けた新生活を送らなければとの思いで、 多くの若者は知識を求め、職を求めて、都会に移っていったことと思います。
明治維新と共に起きた廃仏毀釈の行き過ぎた風潮により、明治30年に古社寺保存法ができ、それの延長が現在の文化財行政であるように。
昭和50年に、古い街並みを守り保存の名目で伝建制度が、昭和52年に日本民家再生リサイクル協会が、平成13年に兵庫ヘリテージが、・・・・ 誕生というか社会運動として現在に至り、それが今日叫ばれている民家再生とか町並み保存という言葉が社会に流通しています。
敗戦後に生じた、田舎の古い因習に満ちた遅れた住まいの生活環境を改善しなければという社会的風潮が進められた結果的が、 田舎の古い因習に満ちた遅れた生活環境には、それなりの理由を付けた価値があり、 住まい・街並みを、保存・修復・再生しなければという風潮に至っていることに対して釈然としない気持ちにつながっている。
70才過ぎまで生きていて、世の中の動きというか流れを見ていて思う事は、 色々な意見・情報に対して、「眉に唾を付けて」見ていかなければという感じです。
「眉に唾を」=顔・頭・脳みそ・五感で見て感じて、生きていてはいけないよという事ではないかと思います。
ではどうやって生きていけば良いかというと、伝えられるものではなくて、 それを求めた人にしか答えが得られる生き方ではないでしょうか。