無以貴の旧聞

過去を知り、現在を思う事が出来れば良いな!

古民家・ヘリマネブームの問題点

古建築を登録文化財に、古民家を改造して民宿とか店舗にが流行っているが、何かが欠けているのではないでしょうか。

現在言われている古民家である町屋とか農家住宅は、世の中も少しは安定し、生活に少しのゆとりが出来た時代である近世中期以降から近代中期頃までに建てられた住まいが多い。

生活にゆとりができると、人々は住まいに形態として、続き座敷・座敷飾り・縁側・路地奥の茶室・2階座敷・2階茶室と言われる「ハレの場」を得るようになる。日常生活には直結しない場を住まいに求めるようになり、形態として残り現在に至っている。

近代の建築感・住まい感は、経済効率をいかに高めるに趣が置かれることの結果が、日常生活の場「ケの場」をいかに効率的に求めるかの結果が、続き座敷・座敷飾り・縁側・路地奥の茶室・2階座敷・2階茶室は無駄な場であり因習的な場を住まいから排除しなければならない前提が今日まで継続している。

古民家の改装時には、「ハレの場」が排除され、古民家全体が「ケの場」に満たされているのが現状ではないでしょうか。

近代建築感の延長であるヘリマネ建築士が「ハレの場」が持っている意味合いを理解できないからであり、結果的にヘリマネ建築士は日本の住まい文化を破壊することの手助けになっている現状がある。

生活のゆとり延長にある古民家をリノベした宿屋に宿泊する人が、宿屋に日本文化が感じられる「ハレの場」が多くあれば、その延長として、住まいにも「ハレの場」を求めるようになれば、古民家が現在に生きてくるのではないでしょうか

近代(建築)の住まい感

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中世後期から近世にかけて広がり、農村部では近代になって多く取り入れられた、住まいに「おぎゃあ」の場であるハレの場が定着したが、戦中から戦後にかけて、封建的とか非生産的な場である理由により、住まいから排除されてきたのが現状。

 

戦後の近代(建築)の住まい感を体現した建築士は、結果的に庶民には受け入れられなく、商品化住宅が食べるだけの生活中心の大衆に、情報メディア等により「乳房をまさぐる」場を中心とした貧困な住まいが病原菌のように広く蔓延している。

 

建築家は「おぎゃあ」の場が持っている精神性を会得し、建築創作を通して社会に問いかける事が出来る建築士建築家であるはずなのに、商業資本の情報メディアに乗っかって自称建築家を名乗っている。

経済活動を補填する建物技術屋が建築家であってはいけないのではないでしょうか。

 

「おぎゃあ」と「母乳をまさぐる」

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身の回りを見ると(70代前後)4人に3人は常備薬を服用。(い)の図

高血圧・糖尿病を持ちながら食生活が改善できないは社会的病理現象と言っていい。

 

人は生まれると、「おぎゃあ」と叫んで、次には「母乳をまさぐる」と言われ、

「おぎゃあ」は、私はこの世に生きているぞの神々しい叫びであり

「母乳をまさぐる」は、「おぎゃあ」の叫びを継続するための手段であった。

 

食事は生きている神々しさを継続する手段であるのに、手段が目的になり、

グルメを食するのが生きがいの人達が多い現状が、4人に3人が服薬生活をしている。

 

「おぎゃあ」の神々しさは何なのかを、古今東西の人達は様々な手法で探求するが明確な言葉で伝えられていない。

言葉は「母乳をまさぐる」の延長である、狩猟採集から農耕生活の過程で生成したから

言葉では「おぎゃあ」の実態を表現するのは無理なのかもしれない。

 

言葉以前の言葉は何かあるのではから思い浮かぶのは、親鸞の言う「念仏」ではなかろうか、「おぎゃあ」と「念仏」は違和感がある感じもするが、考えようによっては、こぴったりと来る取り合わせではないでしょうか。

 

最初の図は食を目的にしたのが赤色、青色は食べること以外に主眼を置いた生活割合。

(ろ)の図は、修行僧の配分で、修行中の命の継続にも最低限の食事・排泄・睡眠。

(は)の図は、希望的配分で、家族を養う為には最低限の働く経済行為に時間を配分。

民家と仏壇の位置


真言宗禅宗等の宗派の皆さんの家の仏壇は、居間・茶の間・広間等の日常生活を営む「ケの場」にあり、

見学先の家の方に話を聞いてみると、仏壇にお参りすることはあまりなく、お寺さんが来てお参りすることはめったにないとの事でした。


私が生活している地域の浄土真宗の仏壇は座敷「ハレの場」にあり、家人は毎朝仏壇にお参りしているし、月参りといって、身近な家人の命日には、毎月お寺さんが来てお参りをする習慣があります。


これらを言いかえると、自力宗教は日常生活での日々の信心・修行・精進が大切であり、日常生活を営む「ケの場」に宗教・仏壇が置かれていることになります。


他力宗教は日常生活には諸々の事案による矛盾することが多い世界であり、日常生活を超えた世界に心の平安があり、その思いを念じて生活すれば、日々の矛盾・苦難から逃れられると、日常生活から離れた「ケの場」に仏壇がおかれています。

 

鹿児島には113の麓集落という郷士が生活した村落があり。郷士の宗派は殿様が曹洞宗なので家来の郷士曹洞宗でしたが、明治になり信教の自由化により、多くの元郷士浄土真宗に宗派変えしたといわれています。宗派変えによる宗派の教えを念じて仏壇の位置が「ケの場」から「ハレの場」に移動している実例を見学会で見聞し感動した思いがあります。

 

秋目麓の郷士と網元である秋元家は、江戸後期に建てられた民家で、曹洞宗の時は「ケの場」の土間からの上り口の8帖に仏壇がありましたが、明治になり浄土真宗になると仏壇は「ハレの場」である二間続き奥の6帖に安置されることになりました。 

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