無以貴の旧聞

過去を知り、現在を思う事が出来れば良いな!

民家の語る声を聞く

f:id:muiki:20181220042659j:plain

f:id:muiki:20181220043353j:plain



民家を楽しむ時、身の回りにある民家を見れば、素直に見えてくる。

図1:昭和10年に建てられた北陸の農家住宅(建て替え前は藁屋根の家)

図2:昭和32年に建てられた東京の都市住宅(建て替え前は藁屋根の家)

 

昭和20年敗戦に伴い米国の占領政策は、日本は封建的因習が強い社会構造があり、それらを覆す必要がある前提で、衣食住を代表としての生活習慣を欧米近代化するための施策が計られた結果、都会では欧米化された生活習慣の成果が徐々に見られました。

 

私の生まれ育った片田舎では、戦中・戦後共に戦争の影は,都会程大きく及んでいなかったと思いますが、

記憶をたどってみると、ナトコ映画が村のお宮さんの境内とか小学校の講堂で無料映画上映会が開催され、娯楽の少ない田舎人は映画の余韻・興奮を感じながら真っ暗な田舎道を歩いて家にたどり着いた記憶があります。

 

映画内容は封建的時代劇が多くて、悪代官が農民町人をいじめる政策により無名の民は、へとへとな生活状態になった時点で、どこからともなく正義の味方が現れ悪代官を懲らしめる筋書が多かったように思われます。

 

占領軍の占領政策を時代劇映像に簡単明快に変換して、判りやすくしている映画ではなかったかと思います。

昭和30年頃にナトコ映画を何回か見て、勧善懲悪物語に心を一時動かされましたが、ナトコ映画は一時の流行であり、後の世代の人達には伝えられなくて、忘れ去られていったことも事実です。

 

日本の敗戦は、非近代的社会運営にあり、これからの社会は西欧近代的社会にしていかなければならないという都会を中心とした世論の盛り上がりもあり、

時の情報に敏感なる都会住民は、それまでの生活習慣は封建的であるから、改めるべきとの前提で、戦災で衣食住の生活装置を失った都市住民は、住まい分野においても、古くて過去のスタイルを排除して、ハイカラな洋風スタイルの住まいを好んで取り入れたのではないでしょうか。

 

日本を代表する民家研究者であるO氏の住宅(昭和32年築、図2)の間取を見ると、機能的な動線の元に配置された各部屋の通風採光が考慮された、近代的合理主義の思考を先取り反映した都市勤労生活者の住まいになっています。

 

北陸の農家住宅(昭和10年築、図1)の間取は、庄川扇状地の気候風土に制約された田園地帯に多く見られる類型化された間取で、ケ(日常)の範囲よりハレ(冠婚葬祭)の場の範囲が大きく、ハレの場で営まれる事は、米作を中心とした農業地帯での昔から伝承されている生産消費に伴う伝統行事・伝統文化を支え伝える役割を繰り返す事が住まいには求められていたことになります。

 

 家の間取を見ていただければわかるように、

都会での日常生活は日々変化する情報に敏感に反映され、衣食住を含めて多くの生活装置が、機能的・合理的・近代的という短い情報サイクルで消費(増改築の頻度)されています。

稲作農業地帯である雪国での生活基盤は、西欧的近代的合理性という新たな情報より、過ぎ去った季節の出来事を思い浮かべながら、日夜いかに稲作の収量増大に励むかが大切であり、それを補完するのが年中行事であり、年中行事を運営する住まいが間取に反映されたのがハレの場ではなかったかと思われます。

 

昨今の田舎も自家用車の普及ともに専業農家よりも勤労生活者の比重が増大していますが、生活環境の変化よりも住まいの耐用年限が長くて、

昔からある住まいを、古くて暗くて今風の生活に合わないと考える人もいますが、

昨今の短サイクルな情報化社会に身をおくよりも、昔からの伝統的な住まい形態が地域と共に歩む人達の共感を得ていることも事実です。

 

各地の民家には自力宗教・他力宗教と宗教形態により間取りの違いはありますが、

瞬時に飛び交う情報を多くの基盤にした都市住民の住まいと、

どちらかと言えばハレの場がケの場より多い民家の間取が内在する生活規範を基盤にした地方田舎住民では、

住まいに対する感覚、日々の生活感覚が大きく違うのではなかったのではという思いを大切に、これからも各地に残存している地域色豊かな民家の語りを聞いていきたいと思います。